上賀茂神社の見どころ 八咫烏と葵祭の神秘に迫る!
目次
京都でも長い歴史をもつ「上賀茂神社」
今回ご紹介するのは、三本足の八咫烏(ヤタガラス)で知られる上賀茂神社。京都の中でも特に古い歴史を持つ神社の一つです。
上賀茂神社の正式な名前は「賀茂別雷神社(かもわけいかづちじんじゃ)」。下鴨神社と合わせて「賀茂社」と呼ばれ、上賀茂神社を「上社」、下鴨神社を「下社」として区別します。かつて上賀茂を拠点とした賀茂県主一族の氏神を祀る神社として創建され、京都でも最古の神社の一つです。
賀茂別雷神とその伝説
上賀茂神社が祀る「賀茂別雷神(かもわけいかづちのかみ)」は下鴨神社が祀る「玉依日売命(たまよりひめのみこと)」の子どもです。風土記に記されている伝説では、玉依日売(たまよりひめ)が瀬見の小川で川遊びをしている最中に、一本の丹塗矢(にぬりや)が流れ来たと言います。玉依日売がその矢を持ち帰り床の辺に挿すと、玉依日売は懐妊し賀茂別雷神が生まれました。こうして生まれた賀茂別雷神は、雷の神として崇められ、厄除けや落雷防止、さらには電気産業の守護神として信仰を集めています。
葵祭の由来と伝統
毎年春に開催される葵祭は、上賀茂神社と下鴨神社で行われる例祭として有名です。平安時代の装束をまとった行列が京都御所から出発し、下鴨神社を経て上賀茂神社へと向かう光景は壮観です。葵祭の由来は、賀茂別雷神の夢に母神が現れ、「我を祀るに葵をかずらにせよ」と告げたという伝説から始まったと言われています。
歴代天皇・武士の信仰と「斎王代」
平安遷都の際、桓武天皇が行幸して以来、上賀茂神社は「王城鎮護の神」として歴代天皇から篤く信仰されました。武士たちの間でも信仰されており、特に徳川家康は、家紋である「三ツ葉葵」が上賀茂神社の神紋に由来していることから、この神社を深く信仰していたと伝えられています。
かつて平安時代では宮中が神への崇敬の年を表し、未婚の皇女を「斎王」として奉る賀茂斎院の制がありました。現代でも、葵祭の中心的な役割を果たす「斎王代」は、この賀茂斎院の制を由来としています。
上賀茂神社の見どころ
本殿・権殿
上賀茂神社の象徴的な建物として「本殿」と「権殿」があります。本殿は国宝に指定されており、文久3年(1863年)に造替されました。流線型の屋根は上賀茂神社独自の雰囲気を醸し出しており、人々に荘厳な印象を与えます。また、本殿の隣に建つ「権殿」は、万が一の際に神を一時的に移すための場所として使用されており、これもまた重要な文化財です。
神馬舎とおみくじ
境内の二の鳥居前にある神馬舎では、日曜祝日や大きな祭りの日に美しい神馬が休んでいます。神馬の出社日には人参をあげることができるほか、「神馬みくじ」のような特別なおみくじも授与されています。
立ち砂と渉渓園
二の鳥居をくぐると、正面にある2つの「立ち砂」が目に入ります。これは陰陽を表す一対のもので、頂にはそれぞれ3本と2本の松の葉が立てられています。
境内東側には、小川に流した酒杯が自分のもとに流れ着くまでに詩歌を詠む「曲水の宴」が平安貴族によって執り行われた渉渓園があります。渉渓園には龍の住む池があったと言われており、池の底から出土されたといわれる陰陽石は両手で同時にふれることで願いが叶うと言われています。 楼門の先で並び立つ「本殿」と「権殿」は、神社の建築様式である流造様式の典型として国宝に指定されています。
社家町の風情ある景観
上賀茂神社の周辺には「社家(しゃけ)」と呼ばれる神職を代々務めてきた家々が広がっています。社家は古代京都の有力豪族「賀茂県主(かもあがたぬし)」の末裔で、神社の創建や祭りに携わってきました。サッカー日本代表のユニフォームにある八咫烏(ヤタガラス)は、神武天皇を導いた際の賀茂氏の象徴とされています。この社家町は「明神川」のせせらぎや土塀が美しい、歴史的な風情を残す場所です。
上賀茂神社 情報
名称 |
上賀茂神社 |
住所 |
京都府京都市北区上賀茂本山339 |
拝観時間 |
二ノ鳥居:5:30〜17:00 楼門・授与所:8:00~16:45 特別参拝:10:00〜16:00 *時期により変動あり |
拝観料金 |
境内:無料 特別参拝:500円 *時期により変動あり |
アクセス |
市バス 上賀茂神社 下車後すぐ 市バス 上賀茂御薗橋 下車、徒歩5分 |
HP |
https://www.kamigamojinja.jp/ |