
狩野元秀画 1583年 長興寺蔵
織田信長ゆかりのスポットを巡る京都旅
戦国時代を駆け抜けた名将・織田信長。その波乱に満ちた生涯の舞台となった京都には、信長ゆかりのスポットが数多く点在しています。信長が築いた歴史の足跡をたどることで、彼の生き様や戦国時代の空気を感じることができます。今回は、歴史好きな方にも、観光で訪れた方にも楽しめる、織田信長を巡る京都の旅をご紹介します。
目次
本能寺 ー 信長最期の地
本能寺といえば、やはり「本能寺の変」。1582年6月21日、明智光秀の謀反によって、信長が自刃した場所として歴史に名を残しています。信長は当時、京都での活動拠点として本能寺を宿舎として利用していましたが、光秀の軍勢に襲われ、圧倒的不利な状況の中で自ら命を絶ちました。
現在の本能寺は、豊臣秀吉によって移築・再建されたものですが、境内には信長の供養塔があり、戦国の激動を感じさせます。また、寺の宝物館には、信長の遺品や本能寺の変にまつわる品々が展示されています。特に、「三足の蛙香炉」は、本能寺の変の前夜に異変を知らせたと言われる伝説の品。信長がその警告を受け取ることができていたら、歴史は違ったものになっていたのかもしれません。
本能寺跡 ー 歴史が動いた瞬間の舞台
現在の本能寺と異なり、当時の本能寺があった場所は、現在「本能寺跡」として石碑が建っています。堀川四条の交差点近くに位置し、当時の本能寺は東西150メートル、南北300メートルほどの広大な敷地を誇っていました。
本能寺の変が起こった当日、信長は少数の家臣とともに本能寺に滞在していました。しかし、明智光秀の軍勢が夜明け前に突如襲撃。これにより、信長は応戦するも、圧倒的な兵力差により自害を選びました。信長の首は光秀の兵によって持ち去られ、その行方は今も謎に包まれています。この地に立つと、日本の歴史を大きく動かした瞬間がここにあったのだと実感できるでしょう。
阿弥陀寺 ー 信長の魂が眠る寺
阿弥陀寺は、本能寺の変の後、信長の遺骨を密かに葬ったとされる寺院です。当時の住職・清玉上人は、信長と織田家にゆかりが深く、混乱の中で信長の遺骨を回収し、ここに埋葬したと言われています。そのため、ここには信長とその忠臣である森蘭丸や家臣たちの墓所があり、「織田信長公本廟」とも称されています。
境内には、信長が本能寺の変で使用したと伝わる槍先や、彼にまつわる貴重な品々が所蔵されています。特に、毎年6月2日の「信長忌」には多くの信長ファンが訪れ、彼の冥福を祈ります。
妙覚寺 ー 信長が愛した京都の宿
妙覚寺は、信長が京都に滞在する際の定宿として利用していた寺院です。彼の京都での20回以上の上洛のうち、18回も妙覚寺に宿泊したと言われています。その背景には、信長の盟友である美濃の戦国大名・斉藤道三と深い関係を持つ寺であったことが影響していると考えられます。
また、本能寺の変当日、信長の嫡男である織田信忠が宿泊していたのも妙覚寺でした。もし歴史が少し違えば、「本能寺の変」ではなく「妙覚寺の変」となっていたかもしれません。
建勲神社 ー 信長を祀る神社
建勲神社(たけいさおじんじゃ)は、信長の功績を称えるために明治天皇の命により創建された神社です。船岡山に鎮座し、信長の偉業を称える場として、歴史ファンをはじめ多くの参拝者が訪れます。
境内では、信長にちなんだ御朱印や御朱印帳が人気で、特に戦国武将好きにはたまらないアイテムです。また、船岡山からは京都市街を一望できる絶景が広がり、歴史好きでなくても楽しめるスポットとなっています。
緑寿庵清水 ー 信長が愛した甘味
信長が愛したとされるお菓子のひとつが「金平糖」。その金平糖を専門に扱う店が、京都にある「緑寿庵清水」です。日本で唯一の金平糖専門店として知られ、映画『本能寺ホテル』にも登場しました。
金平糖は、当時の宣教師によって献上された西洋菓子のひとつであり、信長がその独特な甘さと食感を気に入ったと伝えられています。緑寿庵清水では、昔ながらの伝統製法で作られた金平糖が並び、特に季節限定のフレーバーが人気。信長の気分になって、戦国時代の味を体験してみるのも一興です。