
山科疏水と桜 桜と琵琶湖疏水の魅力
京都の発展に欠かせない役割を果たしてき「琵琶湖疏水」 。その一部として造られた「山科疏水」が、春には桜、秋には紅葉が美しい散策スポットとしても人気を集めています。今回は、そんな山科疏水の見どころをご紹介します。
目次
琵琶湖疏水とは?京都を支えた一大プロジェクト
琵琶湖疏水は、明治時代に琵琶湖の水を京都へ引くために作られた人工水路。水道や農業用水として使われただけでなく、貨物輸送や水力発電にも活用され、当時の京都の発展に大きく貢献しました。
江戸時代から構想されていたこの計画を実現させたのは、当時21歳だった土木技師 田辺朔郎。彼は、近代的な土木技術を駆使し、わずか5年で工事を完成させました。当時の京都府の年間予算の 2倍もの費用 をかけたこの一大プロジェクトは、京都の近代化を支える礎となったのです。
山科疎水の見どころ
山科疏水は、第1トンネル出口から日ノ岡までの約4kmの区間を指します。沿線には毘沙門堂跡や大本山本圀寺などの歴史ある寺院や風情ある景色が広がり、春や秋には美しい桜や紅葉を楽しめるスポットとしても知られています。
疏水沿いには 「びわ湖疏水船」 が運行しており、船に乗りながら水路の歴史を学ぶこともできます。地域の人々が乗船客に手を振る温かい光景も、京都ならではの魅力のひとつです。
歴史を感じる「扁額」に刻まれた言葉
山科と京都岡崎を結ぶ 第二トンネル の出入り口には、歴史上の著名人が刻んだ金言が残されています。
トンネルの入口には、明治時代の政治家 井上馨 の筆による「仁以山悦智為水歓(じんはやまをもってよろこび、ちはみずのためによろこぶ)」という言葉が刻まれています。これは、「道徳ある者は山を愛し、知恵のある者は水を楽しむ」という意味で、琵琶湖疏水の意義を示しているようです。
また、出口には西郷隆盛の弟で初代海軍大臣を務めた 西郷従道 の「隨山到水源(やまにしたがいて、すいげんにいたる)」という言葉が刻まれています。これは「山を辿って行けば、やがて水源にたどり着く」という意味で、「苦難を乗り越えた先には成果がある」というメッセージも込められているのだとか。
山科疏水からほど近い毘沙門堂
山科疏水から少し足を延ばすと、703年に創建された 毘沙門堂 があります。
正式名称は 出雲寺(いずもじ) で、鎌倉時代初期に平親範によって再興されました。本尊の毘沙門天像にちなんで「毘沙門堂」と呼ばれています。
桜や紅葉の名所としての山科疎水
山科疏水は、京都屈指の桜と紅葉の名所としても知られています。
春にはソメイヨシノが咲き誇り、エメラルドグリーンの水面に映る桜の景色は息をのむ美しさ。特に、毘沙門堂から日ノ岡の第二トンネルまでの区間は、菜の花も咲き、春の散策にぴったりのルートです。
秋になると、疏水沿いのカエデが鮮やかに色づき、まるで紅葉のトンネルをくぐっているような幻想的な風景が広がります。特に毘沙門堂から本圀寺へ向かう道は、紅葉スポットとしても有名で、散策しながら山科盆地を一望できる展望スポットも楽しめます。
琵琶湖疏水の一部である 山科疏水 は、明治時代の土木技術の結晶であり、今も京都の街を潤す重要な存在です。
歴史を感じながら歩く水路沿いの道は、桜や紅葉の名所としても人気。訪れた際には、ぜひ毘沙門堂や本圀寺にも立ち寄り、京都ならではの四季の美しさを堪能してみてください。
山科疏水 情報
名称 |
山科疏水 |
住所 |
京都市山科区安朱馬場ノ東町607 8006 |
アクセス |
JR東海道本線 山科駅/地下鉄東西線 山科駅 より徒歩約10分 |